2014年05月21日

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

つづき

部屋に荷物を置いて早速、街へ。群山内港が開港した1899年、租界地(日本人居留地)に定められた旧都心エリアを中心に訪ねてみることにした。

まずは宿から歩いてすぐの진포해양테마공원(鎮浦海洋テーマ公園)へ。錦江(クムガン)という太い川の河口近く(川沿い)にある。この公園は、1380年に高麗水軍が倭寇の500隻の船を撃退した 「鎮浦大捷」 を記念して整備され、2008年にオープンしたそうだ。入園無料。「鎮浦」 とは錦江河口を指す昔の地名だそう。

園内には、海軍艦船など陸・海・空軍の退役軍装備(13種16台)が展示されている。公園内で一番目立っているのは、この大きな軍艦(▼)。海軍上陸艦 「威鳳艦(ウィボンハム)」676号だ。全長99.6m、幅15.3m。定員は乗務員125人、兵士500人。水陸両用戦車15台、トラック15台などを積むことができる。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

1945年1月にアメリカで造られ、米海軍の主力艦艇として第2次世界大戦当時、連合軍の上陸作戦などに使われた軍艦。1959年1月、シアトルから韓国へと引き渡され鎮海(チネ)港に入港。威鳳艦と命名され、韓国の主力上陸艦として上陸作戦や輸送作戦に投入された。1965年からはベトナム戦争の戦闘作戦にも使われたそうだ。2006年12月31日に退役、2007年12月からここ鎮浦海洋テーマ公園に展示されているとのこと。

船は錦江(クムガン)に設置されている。河口近くなので潮の干満により川の水位も上下し、この時は潮が引いて干潟のようになっていた。泥地の上に戦艦が置かれているように見える。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

威鳳艦の内部は展示室になっていた。家族連れなどたくさんの人が訪れていた。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

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公園内には他にも戦車や戦闘機などが展示されていた。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

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また、公園内には、日本の植民地時代に造られた浮き桟橋が3基現存している。公園がある一帯は1899年に開港した群山内港で、当時は日本への米の積出港だったそう。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

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案内板によると、浮き桟橋は1926~33年に3基、1936~38年に1基造られ、合計4基あったそうだが、現存しているのは3基。桟橋は3,000トン級の船4隻を同時に接岸でき、湖南平野の米が1日に150両の貨車に乗せられこの桟橋から日本へと運ばれていったそうだ。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

この渡り橋の先(写真左方)に、潮位の干満に合わせて上下する浮き台が接続されている(▼)。このあたりは満潮時と干潮時の潮位の差が7m以上もあるそうだ。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

この時は潮が引いていたので、漁船もこの通り。

群山紀行-80~90年前の浮き桟橋-5

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つづく


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