2014年05月22日

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

つづき

鎮浦海洋テーマパークを後にした私たちは、すぐ近くにある旧朝鮮銀行群山支店へ。赤レンガの建物が印象的だ。この時は入場無料だったが、今年7月からは有料になるそうだ。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

この建物は、日本の植民地時代の金融施設として1923年に建てられた。赤レンガ造りの2階建て(高さは4階建てに相当)で、当時、韓国で活動していた代表的な日本人建築家・中村與資平が設計した。

群山の近代史を示す象徴的な建物として、植民地時代の群山を背景に書かれたチェ・マンシクの小説 『濁流』 にも登場する。

旧朝鮮銀行は1876年の開港後、1879年に釜山に初めて進出した日本の 「第一国立銀行」 がその前身。これを1909年、大韓帝国の国策銀行として設立された旧韓国銀行が引き継いだ。植民地支配が始まってからは総督府によって朝鮮銀行と改称され、朝鮮総督府の直属金融機関の役割を果たした。解放後、朝鮮銀行が韓国銀行に変わり全州(チョンジュ)に移転した後は、韓一銀行群山支店として使われていた。

旧朝鮮銀行群山支店は、植民地の金融機構の役割を果たしたという歴史的な意味があるだけでなく、建築物の規模や建築史的価値においても、群山を代表する重要な建物だ。

2008年に補修・復元工事を行い、現在は 「群山近代建築館」 として活用されている。(以上、群山市文化観光HPより)

内部は吹き抜けになっており、明るく開放的な雰囲気。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

1階のよく目立つところに黒っぽい壁面のようなものがあった(▼)。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

近づいてみると、1つ1つが顔だった。これは「民族の喊声」 という作品で、5千年の歴史の中で朝鮮民族のために尽力した各国の人物・キャラクターや、大韓民国の建国に貢献した独立有功者を表現したものだそう。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

当時のレンガ壁が一部保存されており、ガラス越しに見ることができる(▼)。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

同じく、保存されているコンクリートの柱(▼)。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

当時の屋根裏もガラス越しに見られる(▼)。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

館内ではさまざまな資料が展示されていた。朝鮮銀行の紙幣(▼)。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

「第一銀行群山出張所」 の1908年7月の出勤簿(▼)。「第一銀行群山出張所」 は朝鮮銀行の前身で、1903年11月、群山で初めて建てられた銀行だ。同行は1910年の日韓併合以降、朝鮮銀行と名称を変えた。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

朝鮮銀行群山支店の棟札(▼)。「奉上棟大元尊神家門長久守護所」 などと書かれている。

群山紀行-旧朝鮮銀行-6

つづく


同じカテゴリー(群山)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
群山紀行-旧朝鮮銀行-6
    コメント(0)