2015年03月31日

避難時代の釜山の物語展 1

サムゲタンを食べた後、近くで開かれている写真展を見にいった。中央(チュンアン)洞の白山(ペクサン)記念館(▼)で開催中の 「피란시절 부산 이야기전」(避難時代の釜山の物語展)(4月30日まで)。

避難時代の釜山の物語展 1

白山記念館は、独立運動家안희제(アン・ヒジェ)(1885~1943)を記念して建てられた記念館。白山というのはアン・ヒジェ(安煕済)の号。安煕済はこの記念館が建っている場所に1914年、穀物や海産物を販売する 「白山商会」 を設立。その運営資金を独立運動の資金とした。

1919年には白山商会を白山貿易株式会社へと拡張し、上海にあった大韓民国臨時政府や国内外の独立運動団体に活動資金を支援。また、独立運動家同士の連携にも尽力し、白山貿易株式会社を国内の独立運動の重要な拠点として活用したのだそう。

夫も私も記念館の中に入るのは初めて。地下1階の第1展示室に入ったら、そこは常設展示室のようだった。安煕済に関する資料が展示されていた。すぐに、写真展はこのフロアではないことに気づき、ここはさっと見学して写真展のフロアに移動しようと思っていると、入り口に座っていた白髪の男性が、「ここにいらっしゃるのは初めてですか。簡単にご説明しましょうね」 と資料の解説を始められた。文化解説士のようだ。

せっかくなので解説を聞かせてもらうことに。最初は私たちの他にもう1組の夫婦と、男性1人の合計5人が解説を聞いていたのだが、そのうちもう1組の夫婦がすっと輪から抜けて立ち去ってしまった。「簡単に」 とのことだったが、けっこう丁寧にじっくり解説してくれるので、最後まで聞くと時間がかかると思ったようだった。

安煕済の出生と成長、教育活動、白山商会設立と運営、言論活動、国外独立運動基地建設など、テーマ別に展示してある資料の前で、熱心に説明してくれた。

解説士の男性は私たちが日本人だと気付いていないようだったが、いかんせん抗日独立運動家の話なだけに、いつ気づかれるかと内心ハラハラ。日本人だと分かったからといってどうということはないが、お互いに気まずい雰囲気になりそうで。

幸い(?)、説明が全部終わるまで日本人だと気付かなかったようだ。私が説明を受けている間、特に言葉を発しなかったためだが。

お礼を言って、写真展が開かれている地下2階へ。写真数枚ずつを1つのパネルにしたものが、20パネルほど展示されていた。朝鮮戦争当時の避難民の生活や釜山の様子、国際市場が形成され始めた頃の様子など、全部で約120枚の写真。今回、一般に初公開される写真も多いそうだ。

避難時代の釜山の物語展 1

興味深い写真がたくさん並んでいる。共同水道前の様子(1952・瀛州洞)(▼)。

避難時代の釜山の物語展 1

川沿いの避難民村(1952・宝水川河口)(▼)。

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富平市場(1952)(▼)。

避難時代の釜山の物語展 1

つづく


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