2018年10月28日

加徳島の砲台陣地 4

つづき

石碑の向こうには、1904年から建造された砲台陣地の跡が広がっている。円形のくぼみは280mmの大砲(榴弾砲)を据えていた砲床。間に弾薬庫をはさんで、大砲は全部で6門配備していたそうだ。向こうに見える山の上に観測所があり、そこで得た敵の方角や距離などに応じて砲台の向きや角度を変えたそう。

加徳島の砲台陣地 4

この砲台陣地は、日露戦争の際にロシア艦隊の釜山や鎮海湾への侵入に備えるためにつくられ、1909年に司令部が馬山(マサン)に移った後は海岸の防御用として使われた。そのため、この榴弾砲の最大飛距離は7,800mと短かったのだそう。第2次世界大戦に備えて、1938年に巨済島の只心島(チシムド)に設置されたキャノン砲(22,600m)の3分の1程度だ。

昔、日本の商店などが写真ハガキを発行するのが流行っていたが、この写真(▼上)も 「丸屋商店」 が発行したもの。大砲の周りに1門あたり8~9人の人の姿が見える。

加徳島の砲台陣地 4

砲床のとなりにあるのは弾薬庫(▼)。上空や遠くから建物が見えないよう、上に植物を植えてカモフラージュした。壁面のくぼみは、大砲を発射したときの騒音を吸収するためのものだそう。

加徳島の砲台陣地 4

幕舎と、大砲を発射するときの待避所を兼ねた建物。弾薬庫と同じく、上に竹などを植えて建物が見えないようにした。

加徳島の砲台陣地 4

加徳島の砲台陣地 4

内部にはオンドルが設えられていた。薪などを燃やした熱気と煙は右手前から奥に送られ(▼)、

加徳島の砲台陣地 4

加徳島の砲台陣地 4

壁の上部にある穴から外に出していたそうだ(▼)。一部レンガが崩れている。

加徳島の砲台陣地 4

つづく



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