2022年05月27日
旧日本軍の砲陣地-巨済島20
つづき
思いがけず、名残りの桜が。



木々のあいだから砲陣地が見えてきた。

1935年11月30日、旧日本軍参謀本部で砲台建設の計画書を作成。36年4月23日、只心島に住む約10世帯を強制的に移住させ、同7月10日、砲台建設を着工。島内に4基の砲台を造り、軍幕舎、見張所など38年1月27日に完工。只心島の砲台には日本軍1個中隊、約100人が駐屯していたそうだ。

緑に覆われてわかりにくいが、砲台の向こうには弾薬庫がある。



ここには隣り合って砲台が2基並んでいた。もう一つの砲台(▼)。美しい海と島に不釣り合いな施設。心が痛む歴史。

そばに椿がたくさん。

つづく
思いがけず、名残りの桜が。
木々のあいだから砲陣地が見えてきた。
1935年11月30日、旧日本軍参謀本部で砲台建設の計画書を作成。36年4月23日、只心島に住む約10世帯を強制的に移住させ、同7月10日、砲台建設を着工。島内に4基の砲台を造り、軍幕舎、見張所など38年1月27日に完工。只心島の砲台には日本軍1個中隊、約100人が駐屯していたそうだ。
緑に覆われてわかりにくいが、砲台の向こうには弾薬庫がある。
ここには隣り合って砲台が2基並んでいた。もう一つの砲台(▼)。美しい海と島に不釣り合いな施設。心が痛む歴史。
そばに椿がたくさん。
つづく
Posted by dilbelau2 at 09:08│Comments(0)
│巨済島・只心島