2025年05月20日
充実の 「現代都市 釜山」 展示 4
つづき
第2常設展示室(4階)は 「現代都市 釜山」。



釜山港から日本へ引き揚げる日本人(▼)。

占いや印鑑彫り、写真撮影、代書といった 「路上の職業あれこれ」 の中に、「アイロン」 まであって驚いた。スラックスを脱いだ姿で待つ客の姿も。


一時釜山で暮らしていた画家イ・ジュンソプ(左)の写真も。同じく画家のパク・コソク(中央)、ハン・ムク(右)とともに。


朝鮮戦争当時、大学を含む多くの学校が釜山に移転してきた。また、釜山各地に青空学校ができ、中には電車の車両を教室として活用したケースも。

釜山にあった数々の 「避難学校」 の位置を示す地図(▼)。かなり多い。




1960年の4月革命や1979年の釜馬民主抗争、1987年の6月民主抗争など、釜山における民主化運動の展示も充実していた。




ほぼ全員がマスクをつけ、掲げ持っている幕には 「催涙弾を使うな!」 と書いてある。

第1常設展示室も第2常設展示室も、釜山近代歴史館(現在の釜山近現代歴史館別館)だったころより展示内容がさらに充実していた。
釜山近現代歴史館本館の建物は一部増築されている。写真右手の窓と壁はもともと外に面していた。エスカレーターやエレベーターのある空間が増築された部分。

足元のガラスを通して、外壁の下のほうまで見えるようになっている。

釜山近現代歴史館 本館
釜山市中区大庁洞1街44 (中区大庁路112)
(051) 607-8000
運営時間:9~18時
定休日:月曜日
地図 https://naver.me/xgNSKPou
つづく
第2常設展示室(4階)は 「現代都市 釜山」。
釜山港から日本へ引き揚げる日本人(▼)。
占いや印鑑彫り、写真撮影、代書といった 「路上の職業あれこれ」 の中に、「アイロン」 まであって驚いた。スラックスを脱いだ姿で待つ客の姿も。
一時釜山で暮らしていた画家イ・ジュンソプ(左)の写真も。同じく画家のパク・コソク(中央)、ハン・ムク(右)とともに。
朝鮮戦争当時、大学を含む多くの学校が釜山に移転してきた。また、釜山各地に青空学校ができ、中には電車の車両を教室として活用したケースも。
釜山にあった数々の 「避難学校」 の位置を示す地図(▼)。かなり多い。
1960年の4月革命や1979年の釜馬民主抗争、1987年の6月民主抗争など、釜山における民主化運動の展示も充実していた。
ほぼ全員がマスクをつけ、掲げ持っている幕には 「催涙弾を使うな!」 と書いてある。
第1常設展示室も第2常設展示室も、釜山近代歴史館(現在の釜山近現代歴史館別館)だったころより展示内容がさらに充実していた。
釜山近現代歴史館本館の建物は一部増築されている。写真右手の窓と壁はもともと外に面していた。エスカレーターやエレベーターのある空間が増築された部分。
足元のガラスを通して、外壁の下のほうまで見えるようになっている。
釜山近現代歴史館 本館
釜山市中区大庁洞1街44 (中区大庁路112)
(051) 607-8000
運営時間:9~18時
定休日:月曜日
地図 https://naver.me/xgNSKPou
つづく
Posted by dilbelau2 at 09:06│Comments(0)
│釜山近現代歴史館