2016年06月20日

映画 『곡성』(哭声)

5月中旬、映画 『곡성』(哭声)を観に行った。明倫(ミョンニュン)駅すぐのロッテシネマ東莱(トンネ)で、料金は10,000w。

映画 『곡성』(哭声)

公開前から話題になっていた作品で、俳優の國村隼さんが出ていることを聯合ニュースのインタビュー記事で知った。

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【ソウル聯合ニュース】(5月11日)韓国映画 「哭声」(原題)の公開(12日)を前に、同作品に出演した日本の俳優、國村隼が来韓した。10日、ソウル市内でインタビューに応じ、撮影時のエピソードや演技などについて語った。

 國村隼は芸歴30年以上の日本を代表するベテラン俳優だが、撮影現場のハードさに驚いたという。

 「哭声」 は、平穏な農村で立て続けに発生した殺人事件を描いた。事件は村の外からやってきたミステリアスな男が現れてから起き始め、村人たちは全ての事件の原因が男にあると疑う。

 このミステリアスな男を國村隼が演じた。これまでの出演映画が70作品を超え、数多くのドラマにも出演してきたが、「哭声」 を最も大変だった作品の一つに挙げた。

 役の設定上、裸で登場するシーンが多く、険しい山奥で撮影が行われたせいもあるが、「哭声」 がナ・ホンジン監督作品だったためでもある。妥協を知らない徹底ぶりが特徴のナ監督の撮影現場はきついことで有名だ。

 國村隼は撮影しながら、韓国の現場はきついと思ったそうだが、「ナ監督の現場がそうだということをあとで知った」 と笑った。

 撮影期間中は肉体的に限界を感じたことがあったという。そういうときはナ監督にもこれ以上できないと話した。

 その例として、キバノロ(シカ科の動物)を食べるシーンを挙げた。「ユッケは好きだが、ずっと食べているうちに気分が悪くなり食べられないと言った。食べられないと言ったにもかかわらず、ナ監督はあともう2回撮影しようと言ってきた」 と振り返った。

 國村隼が演じたミステリアスな男は、同映画が与える緊張感の8割を占めるかと思えるほど存在感が大きい。また、映画は男が何者なのかという謎を観客に投げかけている。

 演じやすいとはいえない役だが、強烈な印象を与える演技で演じ切った。全体のシナリオ上のイメージも重要だが、瞬間ごとにどのような存在として観客に認識されるのだろうかということも悩んだという。特に、男に関する噂が事実ではないかもしれないという可能性を示すシーンでは強い感情を込めて演技したと振り返った。

 自身の演技に対する評価について尋ねられると、「自分のことが他人として感じられるシーンは 『よくやった』 と思う」 と答えた。

 共演した韓国の俳優については 「演じる役に対する準備が徹底しており、基礎がしっかりしている」 と評価した。

  同作は第69回カンヌ国際映画祭の非コンペティション部門に出品されることが決まり、 國村隼もカンヌでレッドカーペットを歩くことになった。初のカンヌ訪問に期待を膨らませている様子だった。

 再び韓国映画に出演する意向があるかとの質問には 「韓国映画の撮影は楽しかった。オファーがあればまた出演してみたい」 と答えた。日本人に対する型にはまった役でなく、中立的で多様に変化する役を演じたいと語った。

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このインタビューを読んで興味を持ち、他の出演者を見てみたら、実力派の황정민(ファン・ジョンミン)や곽도원 (クァク・トウォン)などの名前もあった。これは観てみなければと。夫も誘ってみたが、予告編の暗く不気味なイメージがちょっと・・・とのこと。ならばと、平日の昼間に1人で観に行った。

気楽に観に行ったのだが、上映開始後しばらくして、1人で来たことを後悔し始めた。想像していたより怖く、凄惨な場面が多いのだ。スリラー映画と聞いていたが、ホラーやオカルト、ゾンビのような要素もあり、観ながらずっと心の中で “こんな映画とは思わなかった・・・” と。

しかも156分と一般的な映画より長い。ストーリーも、連続殺人事件の犯人や主な登場人物の 「正体」 がはっきり分からないまま展開し、混乱する。観終わった直後の感想は 「怖かった」 と 「結局何がどうだったの??」 。

後日、韓国人の友人に話したら、「나홍진(ナ・ホンジン)監督だからね」 と。実在の連続殺人鬼の話をモチーフにした長編デビュー作 『추격자』(チェイサー)も残虐性が際立つ作品だそう。「ナ監督のはもともと怖いんです」。あの봉준호(ポン・ジュノ)監督でさえ、『哭声』 の無修正版を観て気持ち悪くなったというエピソードがあるのだとか。

まだ観ていないものの友人も 『哭声』 には興味を持っているそうで、各シーンに隠された意味や監督の意図などを紹介してくれた。冒頭の聖書の一節の字幕をはじめ聖書に関連するエピソードが散りばめられていることや、人工の照明ではなく自然光を使って撮影したこと、撮影に半年、後半作業に1年かかったこと、当初は國村隼ではなく北野たけしをキャスティングするつもりだったことなど。

タイトルの横に 「절대 현혹되지 마라」(決して惑わされるな)という言葉があるように、わざと観客を困惑させるように作ってあるのだとも。

友人と映画について話しているうちに、混乱していた私の頭の中も整理されてきて、國村隼とファン・ジョンミン、천우희(チョン・ウヒ)の正体についても、「なるほど、そうだったのか」 と自分なりの合点がいった。

友人は、「この映画は2回、3回と観ると、初めて観たときにはなかった発見もあると思います。一緒にもう1回観に行きましょう」 と。その時は、あんな怖い映画をまた観るのはごめんだと断ったが、不思議なことに、時間が経つにつれてもう1回ぐらい観てもいいかなという気もしてきた。

あれだけ怖くて訳が分からなかったはずなのに、後になって 「あのシーンはどういうことだったのだろう」 とか 「そう言えばあの時のあれは、こうだったのかな」 とか、思い返してはいろいろ考えている。「それが監督の意図なんです」 と友人。

映画評論家には好評だと聞いていたが、観終わった直後は 「これのどこが好評なのだろう」 とまったく理解できなかった。しかし、思い返すうちにじわじわとその良さが分かってきた気もする。怖く、残忍なだけの映画ではないようだと。

俳優たちの命がけとも言える体当たりの演技も素晴らしかった。大人の俳優はもちろんのこと、효진(ヒョジン)役の김환희(キム・ファンヒ)ちゃんの神(悪魔)がかった演技には舌を巻いた。まだ13歳だそうだが、あの迫真の演技は本当にすごいなと。

その後、この映画がカンヌ映画祭に出品されたときの様子も聯合ニュースで紹介されていた。

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【カンヌ聯合ニュース】(5月19日)フランスで開催されているカンヌ国際映画祭で18日(現地時間)、非コンペティション部門に出品された韓国映画 「哭声」(原題)のナ・ホンジン監督が記者会見に臨んだ。

 「哭声」 は、平穏な農村で立て続けに発生した殺人事件を描いた。事件は村の外からミステリアスな男(國村隼)がやって来てから起き始め、村人たちは全ての事件の原因が男にあると疑う。

 司会者から、なぜ観客を混乱させるのが好きなのかと尋ねられたナ監督は 「悪意があるわけではない」 と冗談交じりに答え、「映画の最大の盛り上がりを心理的な混沌(こんとん)の最大化として表現したかった」 と説明した。

 また、映画の終盤で誰の話を信じてよいのか観客を惑わせるシーンについては 「映画を見た観客にこの状況をどう理解したのか聞いてみたい。劇中の主人公と同じように決定する瞬間を与えたかった」 と話した。

 記者会見に同席した日本の俳優、國村隼は、肉体的にハードな撮影だったのではないかという質問に 「極端にきつい撮影だった。ナ監督は満足するまで絶対に妥協しないので大変だった」 と振り返った。

 すると、ナ監督は 「隼さんはじめ出演者全員に謝罪します」 とユーモアたっぷりに切り返した。

 また、「ここに来られなかった出演者やスタッフにも大変な苦労をかけた。ありがとうと言いたい」 と話した。

 フランスの記者が同映画祭ミッドナイト・スクリーニング部門に招待されたヨン・サンホ監督の 「釜山行き」(原題)と同じように 「哭声」 も登場人物が死ぬときに過去を回想するシーンが出てくるが、これは偶然なのか韓国的なものかと尋ねた。

 ナ監督は 「韓国的な宗教の色彩を表現しながら、聖書に基づいた別のストーリーを描いた」 としながら、「この映画を見る観客はさまざまな宗教を信じる人たちだろうと考え、そうした人たちが宗教的な立場からも受け止め理解できる映画を作りたかった」 と語った。

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「映画の最大の盛り上がりを心理的な混沌(こんとん)の最大化として表現したかった」 -まさにそんな感じだったなと。いろんな意味で非常に印象に残った作品だった。



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